ウォーキングの会
第257回 二子玉川から宮崎台まで大山街道巡り報告書
2026年9月26日
川俣裕章
「大山街道」とは、江戸赤坂から多摩丘陵を抜け、伊勢原、秦野を経て大山へと続く道です。元々「矢倉沢往還」という街道の一部でしたが、江戸中期に庶民の間で盛んになった「大山詣で」によく利用されたため、この名が付きました。大山街道は信仰の道としてだけではなく東海道の脇街道として、また地機器の産物を江戸に送る商業の道として幕末まで栄えましたが、明治の鉄道開通以後は寂れていきました。

9月24日(木)10時、連休後の久しぶりの好天で少し暑い中、東急田園都市線及び大井町線二子玉川駅改札口に17名が集合されました。

改札から左側に出ると広い道があります。これが大山街道です。大山街道を南に進むと、すぐ、多摩川を渡る二子橋にぶつかります。それを歩くと多摩川の風景や、遠くの富士山を見ることが出来ます。この日も富士山を見ることが出来ました。

多摩川を渡ると大山街道の案内が出てきます。

少し歩くと右側に二子神社があります。
1. 二子神社

二子神社は江戸時代初期寛永18年(1641)に創建されました旧二子村の村社で、祭神は天照大神です。境内には出世稲荷や念仏講の供養塔があります。ここに特徴のある記念碑があります。それが岡本かの子文学碑です。この文学碑の前で集合写真を撮りました。

岡本かの子は歌人で作家でもあります。実家が二子にあったので、二子神社境内に建てられました。作者は息子で芸術家の岡本太郎で、題名は「誇り」。台座設計に丹下健三が関わり、撰文は文芸評論家の亀井勝一郎、書が川端康成という豪華メンバーです。
二子神社を出て少し歩くと同じく右側に光明寺があります。
2. 光明寺

光明寺は慶長6年(1601年)、甲斐武田氏の家臣小山田宗光が出家して宗専を名のり開基した寺です。多摩川の川岸にあったものを江戸時代初期に現在地に移転しました。クスノキなど3本の大木があります。岡本かの子の実家である大貫家ゆかりです。
更に進むと同じく右側に高津図書館があり、そこに国木田独歩の碑があります。題字は島崎藤村が書きました。今日は残念ながら図書館はお休みでしたのでトイレ休憩は出来ませんでした。

さらに進み、府中街道を越えると、昔風の建物が見えます。

さらに進むと右側に大山街道ふるさと館があります。
3. 大山街道ふるさと館

二子宿・溝口宿を中心に大山街道を紹介する展示館です。古い街並み写真や食器、衣類などの日用品を展示し、各地の大山街道の紹介もあります。2階に談話室があり、勉強と休憩にも利用できます。ここで小休止です。
さらに進みますと溝口神社が現れます。
4. 溝口神社

宝永5年(1709)に創建されたと伝わる溝口村の総鎮守。境内に古木が多く、樹齢500年以上のケヤキ、300年以上のクスなどを巡る参拝順路があります。本殿には天照大神を祀っています。
さらに歩き、南武線の踏切を越えますと、左側に「片町の庚申塔・浜田庄司誕地碑」があります。溝口と片町の境で十字路に立ち、道標になっています。青面金剛が邪鬼を踏みつける図柄が掘られています。かたわらには溝口生まれの益子焼陶芸家・浜田庄司の生誕碑が立っています。

道が坂になってきました。そこを進むと、ねもじり坂という道標が現れます。「ねもじり」とは丘陵の根で迂回していることに由来するとの説もあるが、定かではなありません。昔は今より急坂で東京に野菜を運び、帰りには下肥を積んでくる牛車・荷車などにとっては、別名「はらへり坂」と呼ばれた難所でありました。

坂を登りしばらく行くと左側に「笹の原子育て地蔵」が現れます。

子供のいない夫婦が願をかけ、四国八十八か所を巡礼したところ、子を授かったのでお礼に建てたという。
さらに進みましたが、気温が高く体調に不安がある方がいましたので、この後の宮崎大塚古墳を見て宮崎台駅に到着する本来のルートを短縮し、手前にある梶が谷駅にて今回のウォーキングを終了致しました。
2時間、8000歩のウォーキングでした。
次回のウォーキングは258回“中野周辺歴史散策”です。
日 時:2026年10月22日(木)10時
場 所:JR中央線中野駅北口集合 雨天決行
コ ー ス:中野駅→新井薬師→沼袋氷川神社→中野歴史民俗資料館→哲学堂公園→落合南長崎駅
中野は、大手企業、大学も誘致されまたグルメの町としても有名です。サンモールを抜け北へ、目の神様として有名な新井薬師を参拝後、西武新宿線を越え、沼袋氷川神社へ。ここは安産の神様として参拝客が多いです。次に歴史を展示している歴史民俗資料館を見学し、休憩後新青梅街道を東に、哲学堂公園へ。ここは東洋大学創立者井上氏によって創設された哲学をテーマとする広い公園です。見学後東に移動して落合南長崎駅にて解散します。記事 川俣裕章