第256回「中山道蕨宿の歴史探訪」
2026年7月14日
斉藤 芳徳

当日はJR京浜東北線蕨駅改札口を出た所に暑い中16名の方々が集合し、西口階段を下りた場所で初参加者の細井さんのご紹介と挨拶を頂き簡単な準備運動を行ってから出発しました。
意外と知られていない事ですが、ここ埼玉県蕨市は全国の市の中で敷地面積が最小(5.11平方キロメートル)で人口77,266人(2026年3月1日調べ)人口密度は日本一です。また、古くは南北朝時代迄城下町として、江戸時代では江戸から2番目の宿場町(中山道蕨宿)として慶長17年(1612年)頃に成立したとあります。町並みは南北10町(約1.1km)、天保14年(1843年)の人口は2,223人、家数430軒、本陣は2軒、脇本陣1軒があり、宿の周囲が用水堀で囲まれていることが特徴です。今回はそんな蕨市内の代表的な神社、寺院、歴史民俗博物館、古民館をぶらり訪ねる歴史探訪を皆様と共に楽しみました。予報通りの暑い日となりましたが、距離は短く、公園や冷房等の設備が整った資料館での休憩もありました。

最近の蕨駅前、特に西口周辺は再開発工事の進行中で、高層マンションやビルの建築ラッシュの様子がうかがわれます。それとは対照的な昭和レトロ感のあふれる商店街や住宅地を少し歩いたところに最初のスポットである城址公園にたどり着きます。
① 蕨城跡・城址公園
大永4年(1524年)頃、北条氏綱に攻め落とされました。蕨城は南北朝時代に足利将軍家の一族である渋川氏が館を構えたのに始まり、大永4年(1524年)頃に北条氏綱に攻め落とされ、永禄10年(1567年)上総の国三舟山合戦での渋川氏の戦死に伴い廃されたと言われています。江戸時代の初めには鷹狩用の休憩地「御殿」としてこの蕨城の跡地が利用されました。
② 和楽備神社
その隣にある神社です。社伝によれば室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族渋川氏が蕨城の守り神として八幡神を勧請したのが始まりです。明治44年(1911年)に町内の18鎮守社を八幡社に合祀して「和楽備神社」と改称しました。現社殿は平成9年に再建されたものです。

③ 蕨本陣跡
和楽備神社を後にして少し歩くと間もなく蕨市役所が見えます。蕨市立歴史民俗資料館はこちらで散策お薦めスポットとして紹介いただきました。資料館そばには蕨宿本陣跡の石碑があり、この通り全体には宿場町の風情が偲ばれ、路面には中山道蕨宿関連装飾も点在しています。
蕨宿の本陣は加兵衛家と五郎兵衛家の2家が代々勤め、加兵衛家本陣には老中水野忠邦や皇女和宮などが休泊されました。本陣は玄関、書院、上段の間・門などがあり、大名や公家などの休泊所であって庶民は利用できませんでした。大名が休泊する時は到着日を知らせ、関札を門前等に掲げ、提灯を吊るし幕を張って一行を迎えました。

④ 蕨市立歴史民俗資料館(本館)
上記の蕨宿本陣上段の間を復元した部屋や蕨宿に関する古文書や実物資料等を紹介しています。江戸時代末期から塚越村では綿織物業が盛んになり「二夕子織(後の双子織)」に代表される縞柄の織物は品質の良さから江戸で評判となりました。他に蕨の学校教育の歴史や戦中戦後の歩みに関する貴重な資料なども無料で閲覧できます。ちなみに当日はスタッフからの説明ガイドを約10分程受け、各会員からも積極的な質問が飛び交い蕨市の歴史を深堀出来ました。何よりも冷暖房完備され私達高齢団体者には好待遇の場所でした。

⑤ 蕨市立歴史民俗資料館(分館)
こちらは、明治時代に織物の買継商をしていた家をそのまま利用しています。敷地は516坪(1,705㎡)、建物は床面積95坪(313㎡)の木造平屋寄棟造りで、中山道に面した店舗部分は明治20年(1887年)に造られました。敷地内の池や植木にも癒されます。

⑥ 三学院
金亀山極楽寺と称し、新義真言宗宗智山派寺院で平安時代の創建と伝えられる古刹。蕨市内最大級の寺院で多くの文化財が残され本尊は平安後期の慈覚大師作と伝えられる十一面観音。天正19年(1591年)に徳川家康から朱印状。幕末迄蕨宿内に寺領を持っていました。

上記コースは、5㎞弱の平坦の舗道でした。猛暑を想定し、出来るだけ短距離且つ小範囲で人口密度と同様に凝縮した歴史探索を楽しみたいと思い企画しました。皆様からの励ましのお言葉まで頂きながら無事に帰路にたどり着くことが出来て感謝の気持ちで一杯です。どうも有難うございました。
また、来月(8月)は暑さの懸念から例年通り休止の月になりますが、次回9月24日(木)は二子玉川から宮崎台まで大山街道を歩きながら数か所の有名スポット巡ります。多少のアップダウンもありますがほぼ平坦な歩き易いコースです。是非、皆様多数のご参加を楽しみにお待ち申し上げます。どうぞ宜しくお願いいたします。
