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0047   記事:   鎌倉探索の会2025年10月の企画「大町・材木座方面の寺社を訪ね和賀江嶋へ」

鎌倉探索の会2025年10月の企画「大町・材木座方面の寺社を訪ね和賀江嶋へ」
実施報告書

日時:2025年10月8日(水)10時30分~12時30分
コース:鎌倉駅東口~教恩寺~元八幡~来迎寺~五所神社~実相寺~光明寺(山門内拝観)~和賀江嶋 で解散
参加者:小澤、永原、川俣、合田、柳田、青木、藤村、和歌、内野、芳賀、金平、安中、中山、清原、若林、計15人

鎌倉ガイド協会の小杉さんの案内で、鎌倉南部の寺社を巡りました。
現在、鎌倉のメイン通りは鶴ケ岡八幡宮から海までの若宮大路ですが、昔は、若宮大路は神が通る道とされ、生活や物流のメイン通りはその東側に並行する小町大路でした。
この道沿いには海側から材木座、魚町橋、町屋址、米座など、当時の面影を残す地名が残っています。また道沿いには鎌倉幕府成立前後の歴史に関わる寺社がいくつもあり、小杉さんの説明を受けながらこれらを巡りました。
その中の一つに元八幡があります。この社は源頼朝のひいひいひい祖父さんの源頼義が、陸奥の国の豪族安部氏を討った後、京に帰る途中の1063年に鎌倉に立ち寄り、この地、由比の郷鶴岡に源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を勧請したもので、鶴岡若宮と呼ばれていました。その後、源氏一族は出陣の際にここに戦勝を祈願し、氏神として崇拝してきました。これが、源頼朝が幕府をつくるにあたり鎌倉を選んだ大きな要因となり、今の鶴ケ岡八幡宮に遷座してからは、ここを元八幡と呼ぶようになりました。
光明寺では、集合写真の背景にある山門内の拝観をお願いしました。
今回拝観した16羅漢は最近修復されたもので、表面に残っていた顔料の成分を分析し、中国の文献なども参考にして、大変鮮やかな色彩が再現されています。
古寺を訪れ、仏像などを拝観するとその古色蒼然とした趣に心落ち着く感覚を覚えますが、この16羅漢の鮮やかな色彩には少し違和感を感じました。でもこれがオリジナルの姿であると再認識させられました。
最後に、由比ガ浜の東にある和賀江嶋(わが国最古の築港遺跡)を見学しました。執権北条義時の肝いりで工事が始まり、石を積み上げて長さ200mの防波堤を築き、その内側には数百艘を係留することができ、宋船も入港したそうです。現在は波と海流による破損が激しく、また当日は台風22号の接近で波も高く、ほとんどが波に埋もれていました。
その後有志で小坪漁港にある海鮮定食屋さんで喉を潤しました。

今年最後の企画は以下になります。詳細が決まり次第、改めてご連絡いたします。
12月4日(木)  北鎌倉の古寺を巡り紅葉を楽しむ

若林記