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タイトル:   ウォーキング同好会 2023 12/14 「築地散策」実施報告書

悠々クラブウォーキング同好会
2023 12/14 「築地散策」実施報告書

早いものでもう12月半ば、あっと言う間に1年が過ぎようとしています。
今年最後の企画は「築地散策」、好天にも恵まれ初参加の井口研治さんを加えて参加者26名と盛会となりました。
築地といえば卸売市場が2018年に豊洲へ移転して以来、「食」に関する話題によく取り上げられるようになってきました。
今回も当初は散策終了後に築地に残った場外市場の飲食店で忘年会も兼ねての食事会で今年の締めにしようかという案もありましたが、昨今のオーバーツーリズムの混雑や小規模店舗しかない事を考えるとグループでの食事会は無理という判断で早々にプランから外しました。
という事で今回は「食」ではなく歴史地誌にフォーカスしたプログラムとなり、メインは築地本願寺、聖路加国際病院と勝鬨橋です。
まずは集合地・日比谷線築地駅から地上に出てすぐ目の前の築地本願寺境内に入り、ここからスタート。
本願寺の京都以来の変遷や仏教寺院とは思えない建物外観の由来を紹介した後、本堂を背に集合写真を撮ってから堂内に入りました。
ここは来訪者にオープンなお寺で、我々が入った時は堂奥の御本尊・阿弥陀如来立像の前で僧を囲んで数人が話をしていましたが、仕切り棒を隔ててその数メートル手前まで(もちろんお喋りは控えなければなりませんが)立入り自由でした。
振り返ると入り口の上部に仏寺には不似合いのパイプオルガンが設置され、その右手から出口に向かう下り階段の手摺にはインド風の小彫刻の飾りがあったりしてとにかくユニーク、見所いっぱいで築地の人気スポットになっているのも頷けます。
築地本願寺を出て聖路加国際病院に向かいます。
公園風の遊歩道を進んで行くと病院旧館の塔と十字架が見えてきました。
築地本願寺、聖路加国際病院旧館中央部分は戦前の建物ですが、築地周辺は幸い空襲被害がなかったので日々変貌する街並みの中にランドマークとして残っています。
江戸時代、この一帯は嘗ての播州赤穂藩浅野家上屋敷跡で、奇しくも今日(12月14日・赤穂浪士討入り)ここを訪れることになったのは何やら因縁めいたものがあるような、ないような・・・。
明治になって大名屋敷は新政府が接収して軍・官公庁用地、皇族・華族の邸宅に転用される中、築地は外国人居留地となって宣教師や医者などが多く移り住みました。
聖路加病院(設立時は「築地病院」)の創立者ルドルフ・トイスラーも宣教師でもあり、医師でもある人物で、旧館の隣に彼の住居が移築保存されています。
また、現在はそれぞれ別の地に移転していますが、明治学院・立教・青山学院などミッション系大学創立の地でもあり、それを示す石碑が病院周辺の道筋に数多く立てられています。
有名人どころでは芥川龍之介が築地で居留地外人御用の牛乳生産・販売業者(耕牧舎)新原敏三の長男として生まれています。

旧館入口で守衛に見学許可をもらい、廊下を10m程進むと突当たり奥に小さな祭壇風の場所があり、キリスト生誕場面らしいジオラマが飾られていました。
クリスマスが近いからなのか、聖路加病院は産科病院として有名なのでいつもそうなのかは分かりません。
廊下壁には病害虫・獣などのレリーフプレートが嵌め込まれており、一見デコレーション風ですが実は病気感染の媒体であることを啓蒙するためのものであるとの事。
脇の階段を上るとチャペルに至り祭壇背後と礼拝場の壁に美しいステンドグラス。ヨーロッパの大寺院のそれとは較べるべくもありませんが、しばらくその場にいると何やら気が休まる雰囲気があります。
旧館を出ると道路の向かい側に病院新館。地下鉄サリン事件(1995)の2年前に建てられたもので、図らずも被害者収容の拠点病院になりました。非公開。
そこから「聖路加タワー(ガーデン)」に寄ってしばらく2階デッキで休憩し、勝鬨橋に向かいます。
その道筋には「指紋研究発祥の地」「アメリカ公使館跡」「東京税関発祥の地」「電信創業の地」など明治期の文明開化を象徴する建物施設、勝鬨橋が近くなると旧海軍創成期の医、経理などの学校・訓練施設があった事を示す石碑や表示が数多く立っていますが、浅学の悲しさ、碑文、説明文を読んで「ふ〜ん」という程度で済ませているうちに勝鬨橋に着きました。
勝鬨橋は皆さんご存知の様に橋路面の中央が左右に跳ね上がって(跳開式という)船を航行させる構造ですが、1970年11月を最後に役割を終えて非可動の橋になりました。
竣工は幻に終わった東京オリンピック・東京万博を控えた1940年。
勝鬨橋川上の佃大橋は1964年、川下の築地大橋は2020年竣工で、共に東京オリンピック絡みで建設された橋であるのは興味深いところです。
橋中央の路面境目まで歩いて行って確かに跳ね上げ式可動橋であったことを確認(?)し、戻って道路反対側の「かちどきの橋資料館」を訪れました。
ここは勝鬨橋関係の文献、図面、1/100模型、跳開操作盤、動力用電動機などが展示されており、10分もあれば全て見られる内容ですが意外とウケていました。
中でも一番興味を惹くのが、橋が跳ね上がって船が通る様子を見せる1/100の可動模型ですが、スタートボタンを押すと結構長い説明アナウンスが流れた後、橋が跳ね上がって船が通るまでの時間がはっきり言って長すぎ。 逆にまだかまだかと期待させる(?)演出なのかもしれません。
因みに毎週木曜日には予約制で橋脚内の開閉機械を見られるガイドツアーがあるそうです。1日2回(10時〜、13時半〜)、丁度木曜日だったのにこれを知らず惜しい事をしました。
勝鬨橋の次は今回ゴールの波除け神社です。
築地埋め立ての時、波浪で堤防の土砂が持って行かれて難儀していたが、海面を漂う光る稲荷大神を拾って現在の地に祀ると波が静まって工事が順調に進んで完成したことに由来する神社です。
海に漂う御神体を掬い上げて祀るとご利益があると、いうのは浅草寺にも同じ話があり、海岸近くにある寺社縁起の定形パターンなのかもしれません。
ともあれ、埋め立てが完成して築地の地に今日の繁栄をもたらしているのはめでたい事です。 信心と情熱は大切ですね。
築地散策が終わったところで鈴木会長から来年度前期の活動計画と人事発表(会長:川俣裕章、会計:村山和久、幹事:鈴木彰一・中山裕)してここで解散となりました。
予想と違って混雑していなかったためか、メンバーの多くはそのまま外部市場の飲食店街に向かいグルメ探訪を楽しんだ様です。

今年度活動は以上の様に無事終了する事が出来ました。

(文責 中山裕)

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次回は2024年1月11日(木)「銀座八丁神社めぐり」です。

集合時間、場所は 午前10時・JR有楽町駅 銀座口 改札出口
多数ご参加お待ちしています。