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タイトル:   鎌倉探索の会 2025年2月の企画「藤沢宿の寺社めぐりと義経伝説」 実施報告書

鎌倉探索の会 2025年2月の企画「藤沢宿の寺社めぐりと義経伝説」
 実施報告書

日時:2025年2月26日(水)10時30分~12時30分
コース:藤沢本町集合~白旗神社~伝義経首洗井戸~弁慶塚~常光寺~問屋場跡~遊行寺~宇賀弁財天~長生院~藤沢宿交流館~藤沢駅(解散)
参加者:小澤、渡辺、田中(晃)、永原、内野、田中(康)、芳賀、中山、若林、計10人

藤沢ガイド協会の廣瀬さんに案内してもらい、小田急線藤沢本町駅から白旗神社に向かいました。
奥州で自刀した源義経の首は腰越で確認された後、白旗川を上りこの地にたどり着いたと言われています。源頼朝は、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るよう指示したそうです。
義経と弁慶の銅像の前で集合写真を撮りました。

集合写真

 白旗神社の後、義経の首を洗い清めたと言われる「義経首洗井戸」、「弁慶の首塚」、義経の位牌が祀られている「荘厳寺」(神仏分離令の前は白旗神社と一対)などを巡りました。これらは江戸期に藤沢宿の繁栄のために作られた伝説と思われます。また、位牌も大火の後、その火災が義経の祟りだと恐れられ、位牌を作って供養したのではないかと言われています。
藤沢宿は東海道の江戸から数えて6番目の宿場ですが、東海道の往来だけではなく、江の島詣でや大山詣での観光拠点としても繁盛したそうです。当時、藤沢宿には旅籠が49軒あり、このうち29軒が飯盛り女をかかえていたそうです。永勝寺には旅籠屋を営んでいた小松屋源蔵の墓があり、その墓を囲むように法名が刻まれた飯盛り女の墓が並んでいます。このように供養される飯盛り女は少なく、小松屋の温情がしのばれます。近くにその子孫が営んでいるラーメン店小松屋がありました。
最後に藤沢宿の角地に立つ時宗総本山遊行寺を訪れました。時宗開祖の一遍上人より数えて4代目の舌海上人によって開山され、歴代の上人が遊行引退後住むようになったので「遊行寺」と呼ばれるようになったそうです。
遊行寺横の道は箱根駅伝の復路の難所として有名な坂になっています。現在は切通になっており傾斜は緩やかですが、江戸時代には坂の下に荷を押す人足が待機していたそうです。
遊行寺坂下の藤沢宿交流館でガイドさんとお別れし、JR藤沢駅まで歩き、有志による会食となりました。

今後は以下の企画を予定しています。詳細が決まりましたら、改めてご連絡いたします。

4月3日(水)大町、材木座方面の古刹を訪ね和賀江嶋へ
6月17日(火)坐禅会
10月大仏切通を歩く
12月鎌倉文化交流館訪問

若林記