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タイトル:   鎌倉探索の会 2023年第4回企画 「修善寺に一泊し源氏・北条ゆかりの地を巡る」 実施報告書

鎌倉探索の会 2023年第4回企画
「修善寺に一泊し源氏・北条ゆかりの地を巡る」 実施報告書

日時:2023年10月5日(木)-6日(金)
コース:伊豆急長岡駅~韮山反射炉~江川邸~蛭が島公園~願成就院~眞珠院~修善寺駅~マリオットホテル修善寺~修禅寺~達磨山高原~修善寺駅
参加者:藤村、田中、内野、芳賀、村山、中山(裕)、清原、若林、会員8名

 修善寺は、平清盛が実権を握った平治の乱の後、16歳だった源頼朝が配流された土地であり、北条氏発祥の地でもあります。2019年に訪れていますが、昨年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を振り返りながら再度訪問することにしました。
 伊豆急長岡駅で集合、昼食後、タクシーで韮山反射炉(幕末に品川台場の大砲を作った所で世界文化遺産)へ向かいました。
 イントロビデオの後、ガイドさんの案内で、実物を目の前に反射炉本体の構造、高温で溶かした鉄を流し込み大砲を鋳造する工程、鋳造した大砲に穴を空ける工程の説明を受けました。反射炉のオリジナルデザインはオランダですが、実用にこぎつけるには、日本独自の技術がなければできるものではなく、特に砲に穴をあける切削工程では日本刀で磨き抜かれた鋼鉄を作る技術が生かされとのことです。
 反射炉の次は、当地の代官江川家の住宅役所跡です。江川氏は清和源氏の流れ、平清盛が実質的に政権を握った保元の乱を逃れて伊豆韮山に住み着いたと伝えられ、のちに頼朝挙兵に加わった功で「江川の荘」を拝領しました。
 表門をくぐった正面に立派な構えの主屋玄関が見え、この右脇に役所跡、文庫、武器庫などの建物があります。これら建造物の一部は室町後期~江戸初期の建築ということで重要文化財に指定されています。
 南北朝以降代々、小田原北条氏、徳川幕府に仕えた江川氏は、韮山代官、明治初期には韮山県令(知事)に任ぜられ、それぞれ支配地域の統治や産業振興に功績がありました。 特に幕末の当主・江川英龍は、先見の明に富んだ様々な活躍をした人物であり、国防の要を説き、銃砲製造のための反射炉や品川場建設を建言したのをはじめ、兵糧としての「パン」製造研究、人材育成の塾開設など、その功績を示す文書、碑が展示されています。

写真1 写真2

 江川邸から願成就に向かう途中、頼朝と政子の像がある蛭が島公園に寄りました。頼朝の流刑地は「蛭が島」という狩野川の中州と言われていますが、狩野川は蛇行を繰り返しており、中洲も変化しているので「蛭が島」がどこであるかは定かではありません。ガイドさんの話によると、頼朝の流刑地特定を担当した歴史学者が、誰かの所有地を流刑地とすると、後々面倒なことが多くなると考え、中洲にしたとの説もあるそうです。
願成就院は北条時政が奥州藤原氏討伐の戦勝祈願のために建てた寺で、寺の周りには北条屋敷、頼朝・政子が暮らした館などがあったそうです。この寺には運慶作の阿弥陀如来坐像をはじめ5体の像があり、国宝に指定されています。
 政子の7回忌に、甥の北条義時が奉納した政子地蔵菩薩像を見た後、北条時政の墓にお参りし、寺を後にしました。
 伊豆長岡駅まで歩く途中で眞珠院に寄り、頼朝との悲恋の末入水した伊東祐親の娘「八重姫」の供養堂をお参りし、1日目の探索予定を終えました。
 その後、修善寺駅前の居酒屋「ほうずきや」で夕食をすませ、マリオットホテル修善寺の大浴場では、修善寺温泉から一山超えて引かれている温泉を堪能しました。
 二日目はタクシーでガイドさんと待ち合わせている修禅寺山門前へ。
修禅寺は9世紀初めに空海が開いた真言宗の寺で、本尊の大日如来は政子が長男頼家の3回忌に奉納したものです。隣の日枝神社は、空海が「修禅寺」の鎮守として滋賀の日吉大社の分霊を勧請した神社で、頼朝の異母弟、範頼が幽閉されたところでもあります。平家追討軍の総大将を務めて戦功を上げた範頼ですが、富士の鷹狩りのおり、曽我兄弟の仇討で頼朝死亡の誤報を聞いて嘆く政子を慰めるつもりで、「自分がいるから源氏は大丈夫だ」と云った事が、猜疑心の強い頼朝に逆心を疑われ、修善寺に流刑されてしまいました。その後梶原景時の軍勢5百に囲まれ自刃したと伝えられていますが、NHK大河ドラマでは刺客により殺害されています。温泉街を流れる桂川の上流に向かって右手の小高いところに範頼の墓があり、彼の無念を忍びながらお参りしました。
 そのあと、桂川の橋を渡り、老舗旅館「新井旅館」が町に寄贈した「竹の小道」のベンチで休憩、寝ころんでしばらくの間ぽっかり開いた空を眺めてから、指月殿と、非業の死をとげた頼家の墓に向かいました。

写真3 写真4

 指月殿は北条政子が頼家の菩提を弔うために建立した伊豆最古、鎌倉初期の建築です。安置する本尊釈迦如来と経文などの収蔵物は鎌倉時代の作として県指定文化財です。指月殿の隣にある頼家の墓は「将軍」の墓とは思えないほど小さなものですが、ガイドさんの説明では、今は木々が生い茂って見えなくなってしまったが、実は政子が奉納した修禅寺の大日如来がいつも見守ってくださる位置に安置されており、政子の息子への思いが感じられます。
 山門が見える見晴らし台でガイドさんと記念撮影をした後、タクシーで達磨山高原に向かいました。ここから見る富士山は絶景で、駿河湾の向こうに見える頂に初冠雪を見ることができました。

写真5 写真4

今後の予定(詳細は改めてご連絡いたします)
12月6日(水)      北鎌倉の古刹を訪ねる 

若林記